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どさんこカメラ

北海道各地で撮った写真を掲載します。

創成川の横に座ってるおじさんは大友さん。

札幌には「創成川(そうせいがわ」っていう川があってね、札幌の街のど真ん中を流れてるんだよ。

長さは14kmくらいで、川の両岸は緑地公園になってる。

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川沿いの道路を歩いてたら、

座ってるおじさんを見つけた。だれ?

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近づいてみる。

おじさんの像の前は休憩所みたいになっていて、創成川の歴史が展示してあった。

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この場所には明治時代、南一条巡査派出所という交番があったそう。

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 床のタイルに「囲炉裏」「事務室」と書いてあるのは、派出所の間取りを再現したらしい。

派出所はレンガ造りで、瓦屋根の厳めしい外観。そのまま保存されてるので「北海道開拓の村」で見ることができるよ。

 

 

 

 近づいてみるとおじさんは、わりと若い人だった。

右手に望遠鏡を持ってる。

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f:id:tamayoshi:20160611150217j:plain 大友亀太郎さんでした。

 

 

 

大友亀太郎は神奈川県の人。開拓時代に北海道に来たんだって。

ここに流れてる創成川を造ったのはこの大友さん。もともとは小さな用水路で、彼の名をとって「大友堀」と呼ばれていた。

この堀がだんだん拡張されて、今の創成川のもとになったんだって。

 

大友さんはもともとは貧しい農民だったんだけど、二宮金治郎(薪を背負いながら本を読んで校庭にいるよね)の門下生になった。ここでは書かないけど、小学校の時誰もがネタにした二宮金治郎。かなりすごい人だったんだよ。最近は校庭から撤去されてさみしいね。

二宮先生の指導のもと立派になった大友さん。当時の函館奉行所に「北海道を開拓するのを手伝ってよ」といわれて北海道に来たのが20代。札幌周辺の開拓に携わったのが1866年で、このときまだ33歳。当時の人はしっかりしてたんだなぁ。

未開拓の原野に堀を造るのは大変だっただけじゃなくてお金もかかった。でも二宮金治郎直伝の財政再建術を駆使しながらなんとか完成したんだって。

 

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 「大友堀」から「創成川」への改名の由来になった「そうせいはし」

1910年に架けられていた石造アーチ橋を再現したもの。

 

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川の近くまで降りられる。

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北海道開拓に尽力した大友さんだけど、10年余りたったある日、故郷の神奈川に帰ってしまいます。

なんかあったんだろうね。

 

 大友さんが北海道にいる間、幕府が倒れて明治政府ができたりなんだりした。彼は役人だったから、職位も変わったし、上司も変わった。新しい体制の人と意見が合わなかったから帰っちゃったって話もあるよ。

 

開拓の祖としておなじみ・島義勇からも一目置かれ、一緒に開拓しないかい?と誘われますが、断っています。

島は、目を患っていた大友さんに、病が癒えるよう自分が大切にしていた菩薩をあげたりするんだけど、やっぱりだめ。

 島の誘いを断ったのは、島は佐賀藩の出身なんだけど、大友さんは長州藩閥である兵部省で仕事をしていたから。

佐賀藩と長州藩が仲良く開拓すると怒られちゃうとか、なんかめんどくさいことになるんでしょう。

 

 

 

ごたごたが面倒だからこにいたくないわ・・って気持ち。昔も今も変わらないね。

 

 

 

島 義勇のハナシはここでちらっと書いてます↓

dosanko-camera.hatenablog.com