前回の赤平アートプロジェクトで旧住友炭坑を見た。 - どさんこカメラ続きです。
建物内部の様子を載せてみました。
あと説明も・・・興味のある人だけ見てください 笑。
こちらが旧住友赤平炭坑の外観です。
右の四角い枠が6つ並んでますが、「住友赤平立坑」の6文字が昔はネオンで光っていたそうです。
ちょっと本題に入る前に・・
そもそも石炭を知らない人がいるんじゃないかと思ったり?僕も使ったことはありません。
これが石炭。
今のように石油が使われる前は、石炭で機関車を動かしたり、ストーブに使ったりなんだりしていたわけです。日本の経済を動かした燃料です。
でも石炭は地下の深いところに埋まってるので、掘り起こさないといけません。
その作業をしてるとこが「炭鉱」ってところで、北海道や北九州にたくさんありました。ガス爆発や崩落の危険を伴う危険な仕事でした。
この旧住友赤平炭坑は北海道の「赤平市」にあり、炭鉱があることによって町は大変活気がありました。炭鉱でにぎわった当時の赤平市の人口は、あふれにあふれ1954年(昭和29年)の約5万6千人が最大。
しかし閉山(炭鉱の終わり)が1994年。これによって人口流出が相次ぎ、2017年(平成29年)には人口が約1万人となっています。
今回見る旧住友赤平炭坑は1963年に完成し、1994年まで活躍した炭鉱です。
当時4,000人もの人が働いていたとは信じられない、今はとても静かな場所にあります。
特徴的な鉄骨は「立坑やぐら」と呼ばれております。地下650mまで通じていて、石炭を引き上げたり、鉱員を地下に降ろすために使われていました。当時のお金で20億円かけて造られたそうです。
こちらの入り口から内部に入ってみます。
今回はイベントのため公開されましたが、普段は無許可で立ち入ることはできません。
この通路は、こんな感じで鉱員たちが現場に入る前に持ち物検査をしたところです。
うっかりポケットに入れていたマッチやライターが爆発の原因になる危険な場所でした。手前のかごを持った人が没収しています。
後で聞いた話ですが、当時働いていた人の話によると
「まあ形式的にはやったけど、そもそも現場にそんなものは持ち込まない」だそうです。
ヤード内部。
とにかく広い・・。でも地下にある坑道は、ここの何百倍も広いらしい。そして深いらしい。さすがに坑道の中には入れませんでした。
2階には「巻き上げ機」が当時のまま保存。
この巻き上げ機は、地下まで「4段ゲージ」というエレベーター的なものを上げ下げしていました。
4段ゲージには1段につき18人が乗れました。なので、72人の鉱員を高速で下すことができたそうです。ここの炭鉱は地下650mの深さがあるので・・・想像しただけで怖いですね。
巻き上げ機の操作室。
正面のメモリで深度がわかるようになっています。
ラピュタの冒頭部分でパズーが「ブレーキ!!」って怒られるとこ。まさにこのゲージを作業中にぼーっとして怒られたんですね。
これまた後から聞いた話ですけど、地下は何層かに分かれていて、1層目は24時間明かりが点いているので通称「銀座通り」と呼ばれていたそうです。
銀座通り以外の坑道は真っ暗だったそう。
中では換気のために扇風機が回っていて、風が強く、暑かったそうです。
共同浴場
立坑の向かいには、鉱員たちのための共同浴場がありました。
仕事が終わると、石炭で黒く汚れた鉱員たちがたくさんやって来たんでしょう。
風呂は3つあります。
24時間、2つの風呂は常に入れるようになっていたそうです。
脱衣場。当時は人でごった返していたそう。
自走枠
これも見てみたかったもののひとつ。
「岩盤が落ちないように支えつつ岩盤を掘れるすごいやつ」です。
向かって右が進行方向。丸いドラムカッターで掘り進めて、左のコの字型の枠で落盤を防いでいます。その背後で砕かれた岩盤は崩れ落ちて、自然に穴が埋まる仕組み。
掘った石炭はコンベアで運ばれていきます。文字で書いても分からないかな・・。
ドラムカッター。
メカメカしていてかっこいいな。
実はこの炭鉱は平成28年に住石マテリアルズから赤平市に無償譲渡されてます。という事は今後維持管理は市がやってかないといけなくなります。
ここら辺の町は先にも述べた通り人口流出で赤字財政ばっかりなんですが、この炭鉱だっていつまでも頑丈なままじゃないよなあと思うと、僕らの次の世代くらいには見れるのやら見られないのやら。
僕は炭鉱世代ではないのですが、仕事の関係で炭鉱資料の膨大な整理をしたことがあり、それからなんとなく炭鉱のことが気になっています。その仕事の中でも多かったのが葬儀関係の資料や葬式の写真でした。
この住友炭坑でも報道にならないだけで、犠牲になった方が多くいるそうです。
炭鉱というといろいろ言われることはありますけど、危険と隣り合わせの仕事だったのは事実、そのおかげでこの国の経済が支えられたのも事実です。