江別市というところに来ています。札幌から車で30分くらい。
江別は「レンガの町」らしい。
明治時代にレンガ造りが盛んだったことに由来していて、今でも町にはレンガ造りの公共施設や住宅が目につく。まあ、そうすることで多少補助金が出るのだろうけど。
この町には、煉瓦の町にふさわしいその名も「れんがもち」なる銘菓があるらしいので買いに行った。
こちらが製造元の「煉化もち本舗」
茶色くて硬い餅なんだろうか・・・
店内には大福やおだんごも売られている。
「れんがもち」はこちらの店以外では殆ど売っていないらしい。
最初に作られたのが1901年という歴史あるお菓子、煉化もち。
ここで漢字に詳しい人は「れんが」は「煉瓦」と書くのでは?と気づいたかもしれない。このお菓子はなぜか「煉化」と書いて、れんがと読ませる。
これは「‟瓦”は食べられないが、‟化”けたら食べられるのではないか」という、当時の札幌商工会議所会頭のダジャレというか思い付きで命名されたらしい。
江別市のお菓子なのになぜ札幌商工会議所が口を出しているのか?
このダジャレを考えた札幌商工会の頭取は、当時久保兵太郎という人が務めていたんだけど、実は野幌煉瓦工場の社長でもあった。
商品であるレンガを特産品として、土産菓子もつくれば知名度も上がるだろうという狙いもあったかもしれない。
ちなみにこの人の息子は小説家の久保栄。「火山灰地」とか「のぼり窯」とか、遠からず土と関係する小説を書いているから、因果が深いと思った。
言わずもがなだけど、レンガは土からできている。江別や野幌地区の土は砂鉄を多く含んでいるので、素焼きでも鮮やかな赤いレンガができるんだそうだ。
さて「れんがもち」。包装をあけるとレトロなイラスト。
茶色くないし硬くない。
やわらかなお餅に、塩味の利いた餡が入ったシンプルなお菓子。
保存料を使用していないので当日が消費期限。「冷凍して自然解凍すればおいしく食べられるから」とお店のおばあちゃまが言っていた。
餅には何の味もついていない。餡は甘さ控えめで良い塩加減。
これだけ何もない入っていないお菓子って、最近食べてなかったかも・・。と思いつつもう一口。
れんがもちは昭和11年に閑院宮様が北海道に来た時にも召し上がったらしい。
閑院宮といってもたくさんいるからわからないけど、もしかしたら「ヒゲの参謀総長」こと閑院宮載仁親王ではないかなと勝手に思っている。昭和11年、北海道で陸軍特別大演習が行われたとき札幌周辺に来てるらしいからだ。
ただ陸軍特別大演習の時に昭和天皇、秩父・三笠宮両殿下が来て江別市内の森を散策したという公式記録はあるけど、閑院宮載仁親王はそういう記録が見つからなかったので僕の推測です。
レンガ造りの火薬庫
さて陸軍の話がちょっと出たけれども、こちらは火薬庫。
江別にかつて、「屯田兵第三大隊本部」があり、そこで使用していた火薬庫。
本部は失火により消失。
現存する屯田兵施設で、レンガ造りの建物はこれだけだそう。
屯田兵は簡単に言うと北海道の開拓と諸外国への警戒を兼ねた兵隊。軍事訓練と農業のみならず、道路や水路工事もしていたから大変。実際に戦地に赴くこともあった。
北海道では珍しい瓦屋根。
さすがレンガの町・・・この火薬庫も江別で作ったレンガに違いない!
と思ったら、札幌市白石の「鈴木煉瓦」という会社で造ったレンガだそう。
鈴木煉瓦工場のレンガは、東京駅、サッポロビール園、北海道庁にまで使われたそうです。
なんだ、今も昔も札幌が強いのか。と思ったらどうやら違う。
明治31年に江別市周辺に大きなレンガ工場ができたために、そのあおりを受けて札幌の鈴木煉瓦工場は閉鎖されてしまったのだ。
会社は昭和初期まで存続したようだけど、今はもうない。
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一昔前、レンガ造りのサイロは北海道らしい景色のひとつだった。
その寒さをしのぐため、また頑丈な西洋式建築を取り入れるため、レンガは北海道の開拓に必需品だった。
そんなレンガから先人の努力を偲び・・・と締めくくりたいけど実はレンガは過去の遺物じゃなくて今でもばりばり製造してる。江別市内には実際に煉瓦専門の会社も普通にあるから面白い。
100%野幌産の原料レンガらしい
レンガは地球の友達!
レンガリフォームやってる
市内の求人には「レンガ積み職人」とか「レンガ荷積み」なんてものもある。
この町にはまだレンガが生きている。