どさんこカメラ

北海道各地で撮った写真を掲載します。

アンパン道路(札幌市月寒)

札幌には「アンパン道路」という道路があります。

 

それがこちら。ちょっと舗装工事中みたい。

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マップで検索すると「アンパン道路」という名称で正式に記載されています。

なんでアンパンなの?

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地下鉄月寒中央駅の1番出口をでると、「アンパン道路」のアーケードがお出迎え。

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アンパン道路の長さはおよそ2.6キロほどあります。

ちょっとあるいてみましょうね。

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ただの住宅街。アンパンは見当たりません。

舗装が、あんこ色に見えなくもないよね。

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この石碑によるとアンパン道路は地域住民と兵隊さんの手によって

明治時代に完成したらしい。

 

 

ここは「札幌市豊平区月寒」という住所です。

もともとは「月寒村」と「平岸村」が合併して「豊平町」の一部になりました。

で明治のころ、豊平町が札幌市に編入されることになったんだけど、この時役場を豊平から月寒に移転しなくちゃいけなくなってしまった。

でも当時は平岸地区と月寒地区を結ぶ道路がなくて、平岸地区の人たちは役場にいけないし、役場のほうでも平岸方面との連絡が取れない!ということで大変困ったのです。

連絡道路がないなら平岸地区は独立するぞ!

という声まで出てきます。

困った町長は道路開通を計画するのですが、当初の計画が射撃場を横断するので流れ弾の危険があったり、政治的な妨害にあってなかなかすすみません。

万策尽きた町長。親交のあった歩兵隊の隊長に相談します。

 

土工演習ってことで兵隊さんに手伝ってもらえませんか?

 

時の隊長稲村大佐は豪快な人であったらしく、この話に同情し、道路工事を快諾したそうです。(兵士の教育上よくないとの苦情もあったそうですが・・)

 

かくして歩兵第25連隊より兵員4000人、さらに地元住民の馬車、労働者も参加して工事が始まります。軍が動いた以上反対派も口出しができなくなったのでした。

ちなみに歩兵第25連隊は旧陸軍の連隊の一つで、ほとんど道内出身者で編成されていました。

 

こうして、月寒地区と平岸地区を結ぶ道路工事は順調に進みます。

周りの住民は、「自分たちのために道路工事を毎日してくれる兵隊さんになにかお礼をできないか・・・」と考えました。そこに登場したのが「アンパン」であります。

感謝の気持ちとしておやつにあんぱんを配り、工事は続きました

しかも毎日一人5個。

というわけであんぱんの力もあってか道路がはわずか4か月ほどで完成。

この道路は「アンパン道路」と呼ばれるようになったのでした。

 

 

 

 配られた「アンパン」は今のアンパンとは別物!

その由来が、道民におなじみのこのお菓子。

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ご存知「月寒あんぱん」

北海道ではだいたいおばあちゃんちで発見されます。

札幌市月寒の名を冠した100年の歴史のあるお菓子です。

 

このお菓子はあんぱんとは名ばかりで、食べてみると

パンというより「まんじゅう」とか「月餅」に近い。

 

なぜかというと「パン」を知らない職人さんが想像で作ったパンだからです。

明治時代に関東で「あんパン」が大ブームになりますが、「パン」ってなに・・?どうやって作んの?北の大地で製菓を営む男は、伝え聞いた話をもとに想像します。

 

「あんパン」ってこんな感じじゃないの・・?

 

そしてできたのが「月寒あんぱん」なのです。

まんじゅうでは?という声はあえて聴かないことにしましょう。

(関東のあんパンはイースト菌のかわりに酒種を利用したものでした)

 

このお菓子は「ほんま」というメーカーで作っています。

兵隊さんに支給していた当時は7店もあんぱん屋さんがあったそうですが、戦中戦後のごたごたで廃業。たった一軒残ったのが「ほんま」なのです。

月寒あんぱんはパソコンのマウスくらいの大きさなんですが、兵隊さんに配っていた当時はさらに大きく、さらに甘かったそうです。

これを5個も食べれば相当頑張れたでしょうね。

ちなみに当時のあんぱんを再現した「月寒あんぱん復刻版」が本店とオンラインショップ限定で発売されています。

 

 

 

営門の松

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アンパン通り近くに、「営門の松」という松の木があります。

「歩兵第25連隊」の正門前にあった2対の松のうち、現存する1本です。

ここにあんパン道路を作った兵隊さんの本部があったわけです。

出征する兵士を見送った松でもあります。

この周辺に「ほんま」以外の7つのあんぱん屋さんがありました。

 

全道的な被害が少なかったため、戦争遺構はなじみがない北海道。

ご紹介はしませんが、この月寒地区は歩兵第25連隊が置かれていただけあってかなり多くのものが残っています。

月寒公園は軍の演習場だったし、取り壊されてしまいましたが北海道・東北に空襲警報を発令するための通信基地も置かれていました。

 

北部軍司令官官邸だった「つきさっぷ郷土資料館」

水曜と土曜しか開館していませんが入場は無料。

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かつて司令官を務めた樋口季一郎はオトポール事件でユダヤ難民を救ったことで知られる人物だそうです。

 

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中には開拓時代のもののほか、歩兵第25連隊に関する資料も展示。

市民のためにアンパン道路をつくった歩兵第25連隊がそのあとどんな経緯をたどったのか・・・・・。

良い話だけで終われない。歴史は知らないとおそろしいものです。