好きな写真家は?と聞かれたら
まず彼の名を挙げる。
前川 茂利。
彼の写真展が共和町「西村計雄記念美術館」で開催されているのでいってきました。
ここは画家・西村計雄の美術館なんですが、
特別展としてその一室に前川氏の写真展「きょうわのくらし」が展示されています。
前川さんの写真やフィルムはすべて共和町に寄贈され、写真集も絶版になっています。ネットでの閲覧は進められていないようです・・。
その写真が見られる!
10月12日まで開催されていました。年に何回かは前川さんの写真展が開催されてるのでチェックしてみてください。
彼は、小沢村(今の北海道共和町)の郵便局に勤務する傍ら、開拓民を撮影し続けた人物です。
土門拳が唱導したリアリズム運動に強く影響を受け、自身も「写真で真実を伝えたい」
という言葉を遺しています。
生まれ故郷の小沢村の写真を撮り続けますが、この小沢地区、
明治時代に開拓が入ったものの、耕しても石だらけ。作物の採れない不毛の地で
あったため、大正時代に見捨てられた土地。
そんな小沢地区に1948年、再び開拓にやってくる人々がいました。
この年数をみてわかる通り、開拓農民の多くは戦争で焼け出された人だったといわれ、もちろん農業の知識は皆無でした。
一度見捨てられた土地に、逃げ場のない人間が生活する。
そんな人々の生活を前川は撮り続けます。
いかに厳しい生活であったか。
解説文を読まなくとも、写真を一目見るだけですべてがわかります。
息子が戦死し、失明した妻と二人暮らしの老夫婦。
腕に食い込む重い牛乳瓶を運ぶ少女、男にまじって冬山で丸太を切る女。
家を燃やして離農していく家族。
火災のショックで聴力を失った男が愛妻の棺を見送る姿。
冷害、育たない農作物、それを見つめる農民・・・。
こんな時、カメラを向けられたら。
多くの人は撮られたくないと思います。
被写体がこちらを見る目は、カメラマンを見る目。
しかし写真に映る人々は、あるがままの姿を前川の前にさらしています。
被写体とカメラマンとの精神的な距離は、意図せず写真を見る側に伝わってしまいます。
それが人物写真の恐ろしいところでもありますが、この写真をみれば前川さんと農民の信頼関係が見えてくると思います。
笑顔の写真もたくさんあります。
村の学校に電気が来た日、はじめて点く電球を見る子供たちの顔。
大人も子供もはしゃぐ運動会。
どの写真も、被写体へのあたたかいまなざしが感じられます。それがなければ撮れないものです。
どうして前川さんの写真が好きなのか、このあたりに理由がある気がします。
うそのない農民の顔。
昔と違って写真は、簡単に撮れるようになりました
でも、うそもつきやすくなりました。
すごく綺麗な風景。すごくかわいい、すごくかっこいい。
でも、何か好きになれない。
うそくさいから。
前川さんの写真は違う。
楽しさや嬉しさも人生の一部だけど、基本には苦しみがあるんだよって正直に写している。
だから、ただの「開拓時代の記録写真」とは違う。
「いやー昔の人は大変だったんだねー」だけでは終わらせない。
そこには、撮る側の自己満足も、被写体の構えもないから。伝えたいことはまっすぐに伝わる。写真を見る人と、写真に映っている人が共鳴できる。
喜びも悲しみも全部ひっくるめて、まさに「くらし」としてカメラにおさめられています。
北海道立図書館に写真集「開拓地のくらし」があります。閉架書庫にあるので申し込みをしないと閲覧できませんが、興味のある方はぜひどうぞ。
ポストカードを買いました。
不毛の土地との30年近くの戦い虚しく、前川さんが撮り続けた開拓民はすべてこの土地を去りました。