平取町の「義経神社」に来ましたよ
その名の通り、この神社のご神体は源義経であります。
なぜ北海道に義経さんが?
北海道には「義経伝説」というものがありまして、この神社もそれに関連する場所です。
歴史上では、源義経は1189年(文治5年)に衣川館(岩手県)で自害したとされています。
ところが衣川館での自害は見せかけで、義経は実は生きていて東北へ逃れ、北海道まで渡ってきていた。というのが「義経伝説」です。
(ちなみに家臣の弁慶も実は生きていて北海道にやってきたというハナシもあります)
北海道には弁慶が休憩した場所だとか義経が立ち寄ったとされる場所もいくつかあり、ちょっとした観光スポットになっています。
こういった話は北海道だけでなく、東北地方にも多く見られ、「義経北行伝説」と呼ばれております。
さらに義経はモンゴルに渡り、チンギス・ハンになったのだ!なんて話まであります。
個人的にはマユツバですが、ロマンを感じるおはなしとしては良いものですね。
大きな鳥居をくぐってまいります。
さあ本殿へ・・・
とおもったらものすごく遠い、その先に坂道。
平取町の雪は少ないとはいえ、寒さはきびしい。
滑り落ちないように階段をたくさん上りました。
振り返ると結構な急勾配。
柄杓も凍る寒さ。
義経が騎馬武者だったことにあやかり、例年「初午祭」が行われています。
この地方は競走馬の一大産地という事もあり、多くの牧場がこの神社で愛馬息災、戦勝祈願をしています。
神社の境内の旗。よく見ると馬の名前と牧場名が書いてあります。
「オジュウチョウサン」という変わった名前があって憶えていたのですが、
後日NHKのドキュメンタリーでオジュウチョウサンの特集を偶然見ました。
オジュウチョウサンって有名な馬だったんですね
僕は馬が好きなのですが、競馬には大変疎いです・・・。
「義経資料館」は残念ながら休館。
甲冑とかがあるらしいですよ
さて義経神社の由来はというと、1798年、北方調査のため蝦夷地(北海道)を訪れた近藤重蔵が建てさせたと言われています。
この時代、すでにアイヌの間で源義経がハンカン(判官)カムイとして崇拝されていたので、近藤がアイヌに御神体を与えて神社を守らせたそうです。
しかし、本当にアイヌの間で義経が知られていたのが先か、それとも和人のアイヌ同化政策の一環として後付けされた話なのかは、いまとなっては知る由もありません。
義経伝説をひもといてみると、江戸時代には、本の題材として「義経が生き延びた」というネタがすでに確立しているようです。
さらにさかのぼると室町時代の御伽草子(おとぎ話の原型)である『御曹子島渡』にたどりつきます。
おはなしの内容はというと、
義経が「蝦夷が島」(北海道)に向かい、大王に会うというものです。
途中で「馬人」の住む「王せん島」、裸の住人ばかりの「裸島」、女ばかりの「女護(にょうご)の島」、背丈が小さい住人ばかりの「小さ子の島」など、海賊王もびっくりな冒険をします。
ここで時代を整理しておくと、義経が自害したのが1189年、「御曹子島渡」の成立年は不明ですが室町時代なので1336年 ~1573年の間です。つまり義経が亡くなってから100年以上後になってから書かれたお話です。
なので史実かどうかは大変グレーですね。
この物語の背景として、日本以北のアイヌや諸外国の情報が日本にも伝えられるようになった事があるようです。遠い北方の冒険に、読者はわくわくしたのかもしれません。
いずれにせよ、古い時代の人々や、遠くアイヌの人々にまで「義経」がヒーローというアイコンとして認知されていたのだと思います。
参拝を終えるともう月が出ていました
この季節は日暮れが早いです。