いろいろパソコンの設定をいじったり回線をかえたりしてたらブログの過去記事がぶっ飛んだりお知らせが反映されなかったりして、この記事が見えているかどうかもいまいちあやしいですが皆さんお元気ですか。
冬の間は仕事が忙しくて、モウマジデダメってのを3回くらい突破したモウマジデダメな日々を送っていたら3月になっていた。いつの間にか年が明けていた。
冬の仕事はおわったのでようやく自由になるなあと思ったら世間ではコロナが流行り始めて外出を控えねばならずがっかりだった。
そのがっかりさというのは、誕生日ケーキの箱を開けてみたら土鍋が入っていたくらいのがっかりさだ。
僕はがっかりのあまり土鍋を振り回し、右手に蓋、左手に土鍋本体をもつやいなや上司の頭をおもっくそ挟んでやり、これをしたたかデスクにうちのめし辺りを血の海にするなどしてしまいそうになったのだがそれだと狂人と思われるのでやめた。ぼくはりっぱな社会人だから。
世間がコロナと騒ぎ始める少し前、まだ中国人がペットボトル的なものでマスクを作る映像を日本人が笑ってみていた時期、そして雪まつりをやめた方がいいなんて言おうものなら白い目で見られていた時期に僕は既に危機感を感じ、食料をできるだけ買っておいて買い物の回数を控えるようにしていた。マスクは真っ先になくなったが、その頃はウエットティッシュも台所用アルコールもまだ売っていた。それも2週間後くらいになくなったけど。
ってこういった日常的な行為である買い物にさえストレスを感じ、加えてSNSには不安や怒りが増産されていてそれを見るのも疲れる。
なんでこういう現象が起きるかっていうとSNSは怒った瞬間指先でちょいちょいやるだけで怒りを拡散できるわけで、SNSが無い時代は、例えばある小説に「北海道はコロナだらけだ」みたいに書いていたらまず出版社を調べて出版社の住所を調べて電車を乗り継ぎ出版社に向かい、担当者は誰だ!!とかいいながら殴り込みに行く必要があって、しかし普通の頭の人は電車に乗り込んでる辺りで落ち着くのであまり社会に怒りは露出しない。あるいは電話が登場する時代になると出版社に電話をかけまくるという事態になるんだけど普通の頭の人は1回かければおちつく。中にはそうじゃない人もいるけど1000回とかかけちゃうと逮捕されるのでそういう怒りもあんま社会には表面化しない。
つまり今は個人の怒りが瞬時に拡散される時代で、しかもそれが社会に対して表面化するのかっていうとそうじゃなくて個人の中で増殖される。それが精神衛生上よろしいかっていうとよろしくないわけで、つまりコロナのせいで精神衛生面も良くない。
SNSのこういう現象はかなりやばめと思うんだけど僕がどうこう言うものでもないから僕はとりあえずみるのをやめた。
あとめしがまずい。
めしがまずくてしにそうだ。
ビールが飲みたくなったらコンビニへ、刺身がくいたくなったらスーパーに行くしあとは外食という生活をしてた上に料理が嫌いなので料理スキルはほぼゼロ。
そのくせ旨いものには目が無い。でも外食いけない。
ここに僕の昨夜の飯をここに晒す。
なんすかねこれは。
キャベツとあと何?卵的ななにか。
見た目も悪いが味も悪い。うちには調味料が塩しかない。
って実は他に私的に困っている細かなことはいくらでもあるんだけど、誰かが何かのために行動したらその反対の人には必ず不利益は発生するわけで、それをいちいち文句たれてたら、みんなが文句言うのが怖くて誰も何もできない世の中が爆誕するのでやばいと思う。たしかに今回のコロナの件では国のトップとか厚労省のトップの対応がまじでだめな感じで僕も腹が立ったんだけどそれを言ってもしょうがないのでとりあえず僕はめしがまずくてしにそうな人ということにしておく。
じゃあ中心部を離れて人のいないとこにドライブに行ってみようといったのは僕の友人だ。
とりあえず大きな公園というか緑地的なとこに行ってみたら、考えることは皆同じで駐車場は満車、多くの人が集まっていたので退散した。
だから石狩方面の海に向かって走った。
風車がいっぱいだった
適当なとこに車をとめて飯をくう。
といっても周辺の飲食店は閉店しているので友人がおにぎりをこさえてくれた。
彼は僕と同じくらいうまいものに目が無いが、僕と違って料理が大変うまい。
なぜか貝殻が落ちているので歩いてみると、海が近いようだった。
雪原の先には海があった。
散歩してる人や釣りの人がぽちぽちいるだけの美しい砂浜。
かわいいあし
全自動でひいては寄せる波を見ていると、僕らの騒動は大変小さなものに思われた。
僕らが何かの拍子に全滅しても、海は海のままである。
おにぎりの具は煮卵がまるまる入っているワイルドなものだった。
カラスがコンクリートに貝を打ち付けて割って食べていた。
さっきの貝殻はこいつの仕業かと思ったけどおにぎりで手が塞がっているのでカラスの写真はない。