日本人は畳を非常に誇りにしている。
だから心ない外人たちが、汚れた靴で畳の上に踏みこむようなことがあればたいそう困ってしまうのである。
不幸なことだが、畳には無数の蚤がついている。
〈イザベラ・バート著 『日本奥地紀行』より〉
こういった言い回しがイザベラ・バートの人間性を良く表していると思う。
彼女は英国人でありながら、その鋭い洞察力で日本の文化・日本人の暮らしをすぐさま把握する。
しかし、ところどころに皮肉と辛辣さをおりまぜるのを忘れない。
彼女は決して、「異国」というロマンチックな理由で他国を褒めそやしはしない。
彼女と初めて出会ったのは、いつぞやの寒い冬、平取町の義経神社だった。
階段の先にある神社の本殿を目指し、息を白くさせながら凍ってつるつるになった長い階段を上った。
帰り道にふと、ある看板が目に入った。
そこには、100年以上も前に「イザベラ・バート」という英国人が、本州から函館、室蘭などをへて、はるばるこの神社にもやってきたことが記されていた。
彼女がここを訪れた1878年、日本では明治時代がまだ始まったばかり。
大久保利通が暗殺され、アメリカではホワイトハウスにやっと電話が設置されたような時代だ。
外国人の自由な旅行がまだ許されていなかった時代、彼女は徒歩や馬で、横浜から東京、東北地方をへてこの北海道にやってきた。
その旅程を記したのが「日本奥地紀行」だ。
読むと驚くのは、当時の日本人よりも日本に詳しかったのではないかと思うくらいの、彼女の知識の多さと洞察力だ。
日本の建物の構造、人々の服装から、政治情勢、宗教、医療制度、果ては生け花の美しさから三味線の騒々しさまで、ほとんど正確に描写している。
日本の結婚式、葬式にまで参列し、恐ろしいほどの知的好奇心でどんどん旅をすすめていく。そうして最後にたどり着くのが、ここ平取町にいたアイヌの村だった。
この本を読んで、少し気を悪くする人もいるかもしれない。
未開人だとか、いまではちょっとセンシティブな書き方も目立つが、何しろ100年以上も前に書かれたものだから仕方がない。
このような書き方については、多少歴史的背景を考慮に入れる必要がある。
当時はキリスト教の教えを広めることによって、世界が良くなると思っていた西洋人がすくなからずいる。江戸や明治時代に訪れた宣教師もそうだ。
キリスト教化されていない世界に対しての「哀れみ」の様なまなざしは、この時代の西洋世界のスタンダードな視点であったことを補足しておきたい。
彼女は別に日本の宗教を否定しているわけでも、強固にキリスト教を推し進めたわけでは無いことも申し添える。(それどころか日本人が無宗教であることを見抜いている)
そういう時代背景を考慮にいれれば、彼女の、時に横柄な書き方にも多少納得がいくと思う。
この「日本奥地紀行」は、日本に残された数少ないタイムマシンだ。
「明治時代の日本」と聞いて僕たちが連想するのは、西洋風の兵隊が並んだ明治維新の浮世絵か、白黒の西郷隆盛の写真くらいだろう。
しかしそれらのイメージは、「明治時代の日本」の爪の先くらいの事実でしかなく、
しかも東京や京都など都心部の話でしかない。
1878年大久保利通が清水谷で暗殺されたころ、新潟のある村で人々がどんな生活をして、山形の街にどんな建物があって、北海道のアイヌたちがどう暮らしていたかは全くわからない。僕らはいつも歴史の表面しか教えてもらえず、細部を読み取ることはタイムスリップでもしない限りできないのだ。
この本はそれができる。
なぜ他の古い本では、僕らは昔の日本を知れないのか?
日本には西洋と違って、探検家や冒険家という職種の人々があまりいなかった。
西洋では世界を旅して、本を出版し、印税でまた旅をするという旅行家的な生業の人がいたが、日本にはほとんどいない。
また、日本にも旅をする人はいたが、多くはその心情、いわば行間を読む紀行文を記した人がほとんどあって、細部を精密に記録するのは明治政府が未開拓の地を測量するようになってからである。
そういう事情もあって、後世の僕らは昔の日本の、いわば生活史のような物を読めないのだ。
それと比べると「博物館」が西洋人の発明であるように、彼らは物事を収集、分析、記述しようとする気質があり、そういう視点で記録された彼女の日本の風景というのはとても貴重なのである。
だからこの本を読めば、当時の国際レートから宿賃、運送料から食生活まで、まるで現地にいるかのようにわかる。
また、北海道にまだアイヌの村があった時代の、貴重な資料でもある。
アイヌの生活を知りたいなら、頭でっかちな論文を読むより彼女の言葉を読んだ方がよっぽどいいだろう。なぜなら学者たちは、誰も当時のアイヌに会ったことは無いのだから。
彼女は北海道を訪れ、アイヌに地方によって方言があること、生活様式が異なることを発見し、勇ましく美しいアイヌの風貌を記している。
しかしながら彼女はほめるべきは褒め、皮肉や「彼女が感じたままの感想」も素直に載せている。
彼女に言わせれば、和服は日本人が一番立派に見える服装だ。
なぜなら日本人の貧弱な体格を隠せるからだ、という風に。
蛇足 どの翻訳を読むか?
さて、イザベラバートの本はいくつか翻訳が出ています。
①日本奥地紀行 平凡社(高梨健吉 訳)
②完訳 日本奥地紀行 東洋文庫(金坂清則 訳)
①日本奥地紀行 平凡社(高梨健吉 訳)
①は、手に入りやすい価格ですが、誤訳が多くみられるようです。
また、個人的に読んだ感想ですが、翻訳が堅苦しいので、彼女のせっかくのユーモアが侮辱の言葉と誤解されてしまう印象があります。
②完訳 日本奥地紀行 東洋文庫(金坂清則 訳)
②は翻訳が大幅に改良され、注釈も豊富です。しかし1冊3,000円ほどで、全4巻まであるのでお財布には厳しい!北海道のみの箇所を読みたいなら3巻目の「 北海道・アイヌの世界」だけを読めばいいのですが、彼女の旅は最初から最後まで読んでこそ面白いと思うのです・・・
①は全て読みましたが、僕のおすすめは②です。しかし全巻揃えるのは難しいので図書館でそのうち全部読もうかと思っています。
ちなみに彼女は日本の他、チベット、ハワイ、ロッキー山脈などを踏破しています。
なんと彼女の旅は、ほとんどが40歳を過ぎてからのものです。
興味がある方は他の本もぜひ!
車で数時間で着いた義経神社。
ここに100年以上前、簡易ベットと空気枕を担いで、4,500キロの道のりをイザベラ・バートがやってきた。
日本人に感心し、時に軽蔑し、鶏肉が食べたくなったり馬から転げ落ちたりしながら。
イザベラの本は人間らしくて何でも正直に書かれている。
いまの北海道をみたら、彼女は正直に、なんて書くだろう。