どさんこカメラ

北海道各地で撮った写真を掲載します。

「バター飴」にまつわる話。

生チョコにチーズケーキ、バウムクーヘン‥

スイーツ王国北海道のおみやげを挙げればきりがありません。

 

しかし、甘いものがそんなに多くなかった時代。

北海道のお土産の定番といえば「バター飴

そんな時代がありました。

 

とはいうものの、当の僕も北海道民であるにもかかわらずバター飴を食べたことがありません。最近ではバター飴の存在すら知らない世代もいるとか・・

 

このままではバター飴が消えてしまう!というわけで、未知なるバター飴の世界を覗いてみたいと思います。

 

 

バター飴を食べるぞ

まずは食べてみないと始まりません。

購入したのは旭川のお菓子メーカー「茶木」のバター飴。

外側が布で出来ていて、おみやげ屋さんでよく見かけるタイプの外装です。

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昭和感いっぱいのキツネがたまらない。

謎の英文がファンシーさを増幅させています。

 

 

 

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裏側は赤いサイロ。100点のデザイン。

 

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これがバター飴。白いんですね。

 

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普通の飴はぴかぴかるつるしていますが、バター飴は表面がざらっとしていて四角。

味は、コクのあるミルクキャンディーって感じで、バターの香りがします。

 

 

どっかで食べた事ある味だな?と思ったら、

「七五三の時にもらう千歳飴」に似ています。あのサクサクした飴。

サクサク噛んでいるうちに柔らかいソフトキャンディーみたいになります。

普通の飴は、水あめを伸ばして、型でプレスして丸く形成するのですが、バター飴のサクサク食感からして、生地を折り重ねたあとに金太郎あめのように切っているんじゃないかと思います。

 

 

ちなみに布のパッケージは、洋服の洗濯タグを切る(ちくちくして嫌ですよね)感じで、糸を切ると綺麗にとれます。綺麗にとったところで、キツネ布の用途は思いつきませんが。

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 Amazonで買いました

 

 

 

バター飴の発祥は八雲町らしい。

当ブログでもおなじみ、木彫り熊発祥の地

「八雲町」

実はバター飴発祥の地でもあります。

八雲町って北海道のお土産をたくさん生み出している場所なんですねー。

 

八雲町では、開拓時代にジャガイモの栽培が盛んでした。

そのうちジャガイモから「馬鈴薯澱粉」(ジャガイモのでんぷん)の生産が盛んになり、やがて、でんぷんを原料に「でんぷん飴」が作られるようになります。

 

ここで、「飴って砂糖からできてるんじゃないの?」と思われた方もいると思いますが、砂糖を精製する技術が未熟だった時代は、でんぷんに酵素を加えて糖化させ、水飴を作るのが一般的な方法でした。でんぷんに酵素を加えると何で水飴ができるのか?ってのは科学的な話になっちゃうんでここでは置いときます。

 

大正5年、でんぷんを原料に、八雲町の榊原安茂という人が水飴を製造するようになります。

大正11年には「榊原製飴工場」を開設します。

昭和6年、榊原さんは飴にバターを加えた「バター飴」を製造、八雲町の特産品として八雲駅で立ち売りを始めたそうです。

バター飴の作り方は企業秘密でした。

というのも飴にバター(油分)を入れることで保存が効かなくなり、さらにベタベタとしてしまうので商品化が難しいからです。

榊原さんは研究を重ねて独自の研究でうまくつくる方法を見つけたようで、昭和11年にバター飴製法特許を取得しています。

 

▼八雲町資料館に行った時のパンフに、榊原氏が使ったであろうバター飴製造機が載っていました(見辛いけど)

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当時の日本ではバターってそんなにありふれた食材じゃなかったんですけど、北海道は開拓期に酪農に力を入れたんで、決して珍しいものではありませんでした。

 

▼北海道開拓期に使われていたバター製造機(北海道博物館にて)

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八雲町では最初は酪農にそんなに力を入れてなくて、先に書いたようにでんぷんの生産が盛んだったんですが、1919年(大正8)にでんぷん価格が大暴落してみんな畑を放棄しちゃいました。そこを再生させるために牛を導入して、やがて酪農も盛んになって、牛乳の加工品であるバターも身近になった背景があります。

 

 

榊原さんのつくったバター飴は瞬く間に人気になりまして、函館や札幌のデパートでも「北海道銘菓」として売り出されたそうです。

 

昭和22年に東京で発行された「生活科学叢書」なる本を見てみると、すでに「北海道名産のバター飴‥」という記載があり、誕生から10年あまりで全国にその名が知れ渡っていたことがわかります。

ちなみに同書はバター飴について、「特許製法によって軽い白飴のように作った高級飴菓子」とあるので、まだ製法については秘密が多かったようです。

 

戦後の混乱を経てもバター飴の人気は衰えることなく、さきほどのキツネのようなバター飴を筆頭に、ディスカバージャパンブームに乗って北海道観光は大盛況。

それを象徴するかのように昭和50年代にはバター飴容器事件って裁判もありまして、めっちゃ簡単にいうと、とある会社がバター飴を「ステンレス製の牛乳缶の形をした容器」に入れて売ってたんですが、同じような容器に入れて売る会社が出てきたんで、その容器が商品等表示(それを見ればその商品がどこでつくってるかわかる表示)にあたるのか、みたいな判例だったと思います。

 

こんな感じですっかり北海道銘菓になったバター飴ですが、元祖バター飴の榊原さんはというと、秘密の製法は二代目榊原幹男さんに引き継がれましたが、平成16年に幹男さんが亡くなり、製造を知る人はいないそうです。

 

 

 トラピストバター飴も食べる

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こちらのバター飴は北斗市のトラピスト修道院で作られているもの。

個包装なのが良いです。

 

ちなみにトラピスト修道院にバター飴づくりを教えたのも、八雲町の榊原さんなのだとか・・?

トラピスト修道院でバター飴が作り出されたのが昭和30年、榊原さんがバター飴を作ったのは昭和6年なんで、ありえない話ではないですね。

 

 

 

 

 

バターボールはバター飴じゃない。
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余談ですが、

バター飴を食べたことがなかったので、「もしかしたらバター飴ってこんな味かな?」と思って買ったのがUHA味覚糖のバターボール。

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 見た目も全然違うし味も違いました。バターボールは「ヴェルタースオリジナル」とか「明治チェルシー」と同じような味で、バター飴とは全然違います。見た目も違うし。

バターボール、ヴェルタースオリジナル、チェルシーは「バタースコッチ」というイギリスのお菓子の一種です。

砂糖とバターを原料にしてる点ではバター飴もバタースコッチも同じ。

となるとバター飴と定義とはなんぞ?、って話になっちゃうんですけどね。

 

 

 

これだけ甘いものがあふれる世の中で、バター飴の存在意義とは何なのでしょう?

千秋庵では、パッケージをかわいらしくしたバター飴を発売しています。

 このバター飴は最近の商品ではなく、昭和25年から売られている古式ゆかしき飴。

こんな風にかわいいパッケージならちょっとしたお土産にいいかな、と思います。

バター飴が生き残れるかは、結局売り手にかかっているようです。