「日本は感染者もいないし、空気が綺麗なので安心です」
今年の2月、札幌の雪まつりの街頭インタビューで、取材を受けた中国の武漢からきた観光客がそう言っていた。
そんな様子がテレビで流れても、誰も慌てない。
日本が平和だったころの話だ。
僕が函館旅行に行ったのはそのさらに1か月前。
コロナの報道がいつから始まったか忘れたけれど、少なくとも今年の1月時点では旅行を躊躇する世界では無かったのだろう。
それ以降は今年はほんとうにこもりきりで、もっぱらゲームか映画、読書って感じなのでもう旅行にはいかないと思う。
これが今年最初で最後の旅行になるとは思っても見なかった。
そんな函館旅行を振り返る。
写真を見返すと皆マスクをしていなくて、なんだか新鮮な景色だ。
ここは1859年から75年間にわたり函館でイギリス領事館として使用されていた建物。今はカフェも併設されていて、イギリスという事にちなんで紅茶が味わえる。
普段はコーヒーばかりで紅茶は飲まないし飲んでもおいしいとも思わないんだけど、ここで飲んだ紅茶がとてもおいしくてびっくりした。
併設されているショップではビートルズやピーターラビットグッズまでおいてあって、イギリスなら何でも来いという感で溢れていた。
そのショップで売られていた茶葉がはたして、この紅茶に使われているのかわからないので買わなかったのがちょっと心残りではある。
それとも店員さんの淹れ方が良かったのかもしれない。
どちらにせよ、おいしいものはあちらから突然やってくるものである。
こちらから探して見つかるものではない。
予期せぬおいしいものの出会いも、なくなってしまったのであるな。
ちなみに旧イギリス領事館の外観はこんな感じ。瓦屋根に青い窓枠という和洋折衷なデザイン。
外国人観光客もたくさんいて、アジア系がほとんどである。
函館の坂道はあちらでも人気の撮影スポットらしく、車道の真ん中で堂々と撮影する。
そういえば行きのJR車内で隣が外国人家族だったけど、お菓子の包装、食べかすを座席の上に大量に残していったのが印象的だった。
そういうのはマナー違反では無くて、あちらの国では別に当然のことなんだと思う。
日本ではこれがマナーなんですよ。と教えないのが悪い。
何で教えないかというと皆なんとなく言いたくないからだ。
日本人は言わなくても察するので、外国人もそうだろうと思っているのか、察してくれるのをずっと待っている。しかし、その日は来ないだろう。
そういえば夜に行ったこの居酒屋は、漁師町をほうふつとさせる雰囲気の店内だったが、店員さんはカタコトの外国人だった。
それだけ函館は外国人観光客が多いのである。
イカ刺しとゴッコ汁を頼んだが値段の割にうまくもまずくもなく、つまり観光客向けの店っだった。
コロナ前はこういう店に外国人がたくさん来て、うまくもまずくもないものを高値で大量に消費していった。日本経済は彼らに支えられていたらしい。
そうして同じような店が街にあふれた。
外国語の看板があふれ、施設はいつもがやがや、国内旅行者がなんだかないがしろにされて寂しいな。最近は旅情ってもんが無いね。
と当時は思うくらい、圧倒的勢力だった。
良くも悪くも彼らはパワフルだった。
日本人には無い圧倒的な熱量。
日本人には無い余裕。
何かで読んだけど経済に余裕がある人は心にも余裕があるらしい。金がなくなると細かいことに文句や愚痴を言うらしい。
大きな熱量がごっそりなくなって、国内ではいろんな事が冷え込んでしまった。
カタコトの店員はどうしているだろう。
お口直しにcafeMARUSENというところに行った。
ここは雰囲気もよくて、いつかまた行きたい。
ご覧のとおり高い天井。
ここはもともと旧日魯漁業(今のニチロ)の社屋ビルとして建てられたもの。
今はカフェになっているこの場所は3号館として1937年(昭和12年)に建てられた。
当時としては珍しいコンクリート製の巨大ビルで、北海道では最大規模であったらしい。
屋外のかまぼこ型窓、天井の星形装飾、玄関に敷き詰めたタイル、どこを見ても当時の流行の最先端だったであろうデザインが施されていて、心地よい空間である。
当時の日本人は心に余裕があったに違いない。
飲んだのはシャンディ・ガフだったかなんだったか忘れたけど、
旅行という行動がそんなに楽しくなさそうな友達がめずらしく楽しそうにしていたので、僕はそれだけでなんとなく良い気持ちで酔った。
旅行にはいろんな出会いがあります。
というのは気持ち悪い表現だけど実際にそうなのかもしれない。
美味しいもの、いろんな考え方、誰かの意外な顔。
それらは経済活動の対価として得ているわけではないのだけど。