「中華まんじゅう」
と聞いて皆さんは何を思い浮かべるでしょう。
肉まん?
あんまん?
ピザまんやカレーまんもいいですね。
しかしながら北海道では「中華まん」といえばこちらを指すことがあります。
でかい三日月型のまんじゅう
このまんじゅうはなぜか北海道で「中華まんじゅう」と呼ばれている。
ちなみに中華的要素は、一切無い。
中身は何の変哲もないただの餡です。
いったいなぜ「中華まん」と呼ぶのだろう。と思い調べてみると、
和菓子の世界では、小麦粉・砂糖・卵をベースにした生地を「中花(ちゅうか)」と呼ぶ。それが転じて中華まんじゅうになったらしい。
ネットで調べるとコピ―&ペーストのように同じ答えしか出てきませんが、多分これが由来なんでしょう。
なんだか面白味の無い由来・・・
しかしながらどこを調べても「小麦粉・砂糖・卵をベースにした生地をなぜ「中花」と呼ぶのか?」はわかりません。
これといった正解がない事案に関してはいずれそれを大勢の人が信じるようになれば、それが間違っていようとまるで本当みたくなるのかもだなあ・・
小麦粉と砂糖の上に卵をポトリと落とすと、白い粉の中心に黄色い卵が落ちますよね。
これが黄色い花に見えるので「中花」と呼ぶようになったんですよ。
どうでしょうこの説、ここで書いて皆さんに信じていただくことで強調スニペットとして表示される日も近い気がします。恐ろしい世の中ですね。
ちなみに地域によっては「中花まんじゅう」とか「中皮まんじゅう」というのもあるらしく、いずれも三日月のような形で、どら焼きのような皮に餡が入っている模様。
中皮まんじゅうになるともはや「ちゅうか」ではなく「ちゅうかわ」になってしまっているけど、大勢の人がそう思う事によって正解になってゆくことが、やはり往々にして世の中にはあるものです。
中華まんじゅうはいったいいつからあるのか?
一番古い記述は1853年の江戸時代のお菓子作りの本「ていさ秘録」に記されております。つまり、別に北海道発祥のお菓子ではないというわけですね。
この本によると当時の作り方は、
材料:鶏卵、白砂糖、うどん粉
作り方:材料をよく混ぜて、水を加えてどろどろとなるまで混ぜて焼いて餡をくるむ
かなり意訳ですけど原本にも大したことは書いてありません。これだけの説明でまんじゅうが作れた江戸時代の菓子職人は逆にすごいですね・・
ところがここにもなぜ「中華」なのか、という理由は書いていないんですねー
それどころか三日月型にするとか、そういったことも指示してないんで、江戸時代の中華まんじゅうが今の中華まんじゅうと同じだったかはちょっと怪しいと思います。
ちなみに「中華まんじゅうは北海道では葬式の引き菓子として出される」という情報もちらほら見かけますが、僕は一度も見たことがありません。
お菓子を葬式の引き出物にすること自体見たことないですね。
僕の曾祖父(もちろん会ったことはない)の好物が中華まんじゅうだったらしく、お盆のお供えのおつかいで買いに行くのが夏の恒例行事でした。
という事は、100年近く前までは北海道で一般的に食べられていたことになりますね。
そんな中華まんじゅうも昔はスーパーの和菓子売り場に売ってあったのですが、年々探すのが困難になってきています。あまり食べる人もいないのでしょうか・・・
撮影用に買った中華まんじゅうは、和菓子屋さんにて購入しました。
かくいう僕も中華まんじゅうってあんまり食べないんだよなあ・・
とか思っていたんですけどあんこって意外とおいしいじゃんみたいな感じで秒殺。
あと、あんこと牛乳の組み合わせ最高です。
最近はこういうフタつきの牛乳がすきです。紙パックのとは美味しさが違うんで飲み比べてみてください・・。
どら焼きと違うのは見た目だけなんじゃないかとか、これだけお菓子の選択肢がある世の中だと中華まんじゅうの行く末は厳しいのかもしれませんが、曾祖父がどら焼きではなく中華まんじゅうがすきだったのは、どら焼とは違った理由があると思うんですね。
でもその違いっていうのは当時は当たり前に世の中全員が認識してたし言葉で残すほどでもなかったんだろうけど、それがわからない世の中になっていくともうそれって謎でしかなくなります。なので北海道で主に中華まんじゅうという名前が残ったのも何か理由があったんでしょうけど、こうやって今も謎のままです。
世の中には調べても出てこない謎が、少しはあったほうがいいと思いますけどね。