どさんこカメラ

北海道各地で撮った写真を掲載します。

赤平市がロケ地の「ドライブ・マイ・カー」を観るなど。

ドライブ・マイ・カー インターナショナル版

そもそも邦画が嫌いだし、村上春樹のファンでもないのだけど、北海道で撮影された映画がアカデミー賞やらカンヌ国際映画祭で受賞しまくっていたら見ないわけにはいかないでしょう。

というわけで村上春樹原作、濱口竜介監督の「ドライブ・マイ・カー」を観ました。

 

 

 

あらすじは、愛していた妻が実は浮気をしていて、主人公はとても傷つくんだけど、あるドライバーの女性と出会う事で主人公はだんだん変わっていく。というなんとも村上春樹っぽいおはなし。

どうせ洒落た音楽にいくつかのベットシーンがついたおしゃれ系映画なんだろうと思ったら違いましたね。

まず登場人物の演技がへたくそ!と思いきや、これは監督の思うつぼでありました。

登場人物たちはわざとセリフを棒読みにしているわけです。

映画の中では劇中劇として「ワーニャおじさん」が演じられるのですが、劇を指導する立場の主人公は、ワーニャおじさんのセリフに関しても、役者たちに感情を入れずに読むよう指示します。

作中のセリフも棒読みが多いし、作中劇のワーニャおじさんでも棒読みが多くなる。そこで何が起こるかというと、感情を排除し「言葉の意味」だけが浮き彫りにされるわけですね。これを仮に「生の言葉」とでも呼びましょう。

 

感情を排した生の言葉というのは、生酒のようにめちゃめちゃ強くてパワーがある。

生肉はうまいが危険なように、生の言葉というのも同時に強くて危険なわけです。

主人公が「ワーニャおじさん」を演じることで自分が壊れてしまう。と言っていたのもうなずけます。なんせ生の言葉はパワーが強いんですから。

 

感情を排した言葉のパワーというのは、当然見ている我々にもじわじわ効いてきます。

この映画を見終わった後、正直あんまりおもしろくなかったなあと思ったのですが、その後僕に何が起こったかというと・・・・

シャワーを浴びるとき、歯を磨くとき、というふとした瞬間に映画のセリフがじわじわと自分の中で浮かび上がるようになり、映画で観たにもかかわらず、本を読んだかのような、セリフの一つ一つが意味を伴って脳裏に浮かんでくるわけです。映画が何を伝えたかったか、というのがホッカイロの温度のごとくじんわりと伝わってきました。

つまり、映画を見てしばらく後になってから、とてもいい映画だったなと思ったわけです。こういう体験は初めてですね。

 

海外での評価がめちゃ高いのは、日本語が母語でない者が受け取るセリフが、監督の思惑よりさらに感情を排したものだったからじゃないでしょうかね。

そういう意味では日本語話者である自分は日本語の縛りから解放される時間が遅いので、見た直後はあんまりおもしろくなかったのかもしれない。

今は何でも感情的で時間的に短いものがもてはやされるんで、「長いなー」って感じるシーンはカットされがちなんですが、この映画はそんなのお構いなし。

言葉の持つ「意味」をこちらが理解するまで時間をかけて訴えてきます。

それにじっくりと向き合える方は、見る価値があるのではないでしょうか。

 

 

ちなみに3時間近くある映画ですが、北海道で撮影されたシーンはわずか10分ほどしかありません・・。

しかしロケ地に選ばれた赤平市はそれで大変元気づけられたみたい良かったです。