どさんこカメラ

北海道各地で撮った写真を掲載します。

そもそも知らない、北方領土。

北海道で田舎道を走っていると、「返せ北方領土!」なんて看板があるのを昔はよく目にしたもの。しかしながら一定の道民にとって、触らぬ神になんとやら。という空気があるのも事実。

でもそんなことをしているうちに、何にも知らないまま大人になっていたのでした。

これではいけないなあ。と思ったので、ごく簡単に自分の覚書として書いてみます。

※ちなみに、僕はこの記事上で如何なる政治的見解も発言もしていません。歴史的解釈の違いとかもあると思いますがそりゃ人によって考え方は違うと思うので知りません。これは僕の勝手な覚書です。

 

まずは最近の動向から見てみます。

 

 

ロシアのプーチン首相と安倍総理との会談が行われ、もしかしたら北方領土問題が進展するかも!と期待が寄せられた2016年12月の日露首脳会談。(覚えてます?)

「良くても二島返還か」「いや、四島もあるかも」と、全国放送の番組までもが特集を組み、過去15回行われた首脳会談の中でもまれにみる期待の高いものでした。

 

ところが蓋を開けてみると、出てきた結果は

「ロシアとの共同経済活動がんばります!」

え?北方領土の話は??

 

そんな肩透かしの結果はさておき、「良くても二島返還」「四島あるかも」というニュースをみて僕は思いました。

「北方領土って四つ島があるけど、どれがどの島かわからない・・」

 

 

 

 

 四島の名前と位置

 

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 まずは、なんか北海道の右側にある島でしょ?というレベルから脱したいと思います。

青矢印あたりが北方領土ですね。「北方四島」と呼ばれることもあります。

四つの島以外にも総理大臣が指定すれば「北方領土」になるのですが(千島列島とか)、話がややこしくなるので、まずは簡単にわかるように四島という事にしておきます。

 

さらに拡大するとこんな。

そしてそれぞれの島の名前。

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 アイヌ語が語源のため、漢字は当て字です。難読地名ですね。

それぞれ見ていきます。

 

①国後島(くなしりとう)

面積は1489.3㎢。沖縄より少し大きいくらいです。

北海道の納沙布岬からこの島までの距離は16km。わりと近いですね。

ロシア人は6,000人くらい?住んでいるようです。

地対艦ミサイル「バル」が配備されています。

火山だらけの島で、なんと温泉が豊富。近く、温泉付きホテルが建設されるそうです。

 

 

②択捉島(えとろふとう)

 面積3166.6㎢。この島を日本のものと考えた場合、日本で一番大きな島になります。国後島と同じく火山が多い島で、たびたび噴火が起こっています。

 ロシア人は6,000人くらい?住んでいるようです。

水産資源が豊富で魚が良く獲れます。

地対艦ミサイル「バスチオン」が配備され、北海道が射程距離内に入っています。

真珠湾攻撃の際は、この島のヒトカップ湾に日本帝国海軍機動部隊が集結し、出撃していきました。

 

 

③歯舞諸島(はぼまいしょとう)

複数の島で形成されていますが、四島としては一つの島として数えています。

海馬島、多楽島、水晶島・・などの島で形成され、コンブの漁場として明治以前から知られていたようです。

北海道から一番近いのは「貝殻島」で、北海道からわずか3.7kmしか離れていません。

今はロシアの国境警備隊がちょっぴり住んでいるだけ。

 

 

 ④色丹島(しこたんとう)

面積は248.9㎢。かつて日本の捕鯨基地がありました。

ロシア人は3,000人くらい?住んでいて、学校や幼稚園の建設が増加しているようです。

明治期には千島列島(四島のさらに先に点在する列島)に住んでいたアイヌが、明治政府によってこの島に強制移住させられ、多くが命を落としました。

 

 *

何度か名前が出てきた千島列島ですが、四島からさらに伸びて、カムチャッカ半島までの列島を指します。緑のところが四島らへんです。(縮尺はでたらめです)

ついでに樺太もちょっと関係あるので載せます。北海道の上です。

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 第二次世界大戦のごたごた

急に第二次世界大戦まで話が飛んでしまいましたが、簡単に考えられるようにながーい歴史は省略します。ざっと書いておくと、四島や千島列島にはアイヌや北方民族が住んでいました。彼らは今の北海道のアイヌと交易をしたりして暮らしていました。日本側はというと1600年~1700年代には文献に四島の名前が出始め、認知され地図にも登場します。たびたびロシア人とアイヌとの争いも起きていました。

ロシアの南下に警戒した日本は北方の支配を強め、これに反発したアイヌとの衝突や、ロシアの襲撃が起こります。

 

そんな混沌の時代も近世になるにつれ、外国と条約を結んで「国境はここまで」とお約束する時代になります。

以下は第二次世界大戦以前、ごたごたが起こる前のロシアとの主要条約です。

 

【1855年 日魯通好条約】

択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島は日本の領土。ウルップ島から先の千島列島はロシア領。樺太は国境を定めず、これまで通り両国民の混在を認める。

※樺太っていうのはサハリンのことで、北海道の真上にあります。今はロシア。

【1875年 樺太千島交換条約】

ロシアから千島列島を譲り受けるかわりに、日本は樺太全島を放棄。

ロシアが日本に譲った千島列島は、条約によると18の島です。しかしそこに択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の四島は入っていません。

つまり、「四島は千島列島ではない(含まれない)。」という解釈ができます。ここちょっと大事です。

【1905年 ポーツマス条約】

日露戦争に勝利した日本は、樺太の南半分を日本の領土とします。(それまではロシア領)

 

と、ここまでは、四島は日本領です。

で、第二次世界大戦が始まってしまいます。

この戦争は【連合国】(アメリカ、ソ連(現ロシア)、中華民国、イギリス、フランスなど)対【枢軸国】(日本、ドイツ、イタリアなど)の戦いです。

日本とソ連は敵国同士ですが、「日ソ中立条約」を締結し、両国は互いに中立を保っていました。ところが広島に原爆が投下され日本が壊滅的になったとたん、ソ連はこの条約を勝手に破って日本に宣戦布告してきます。

 

なぜ突然日本に攻撃してきたのか。実は日本の知らないところで根回しがありました。

ヤルタというところで、アメリカ、イギリス、ソ連の首脳会談が行われました(ヤルタ会談)。第二次世界大戦がそろそろ終わりそうなので、領土の配分などお互いの利害を調整するためです。

そこでアメリカがソ連にいいます。「もし日ソ中立条約を破って、日本に攻撃してくれたら、日露戦争で日本にとられた樺太南部をソ連に返還するし、千島列島もソ連に引き渡すよ。」(極東密約)

 

そういう裏事情があってソ連は対日参戦しました。日本はいよいよ八方塞がりになり、連合国の勝利は確実でした。

 

 

日本はポツダム宣言を受諾して降伏します。

ポツダム宣言受諾決定が8月14日で、調印したのが9月2日。ところが、原爆投下以降参戦したソ連は、その間も南下して島々へ侵入し、9月5日までに北方領土を占領しました。

日本が白旗をあげているのに進軍してきたわけです。(この時正当に領土を得たとロシアは主張してる。)

 

 さて、ポツダム宣言は、「日本は降伏します。」というのを認める宣言で、次のステップとして講和(平和)条約を結ばなければなりません。

で、1951年、連合国と「サンフランシスコ講和条約」を締結します。ここにきて多くの国と「戦争状態を終わりにします」という事になります。

この条約で、日本は台湾や、南樺太・千島列島を放棄しました。

 

ところがところが、放棄した「千島列島」の範囲が明確になっていませんでした。

四島は入るのか入らないのか?

ここは言い回しや条文の解釈でいろんな人がいろんなことを言ってますんで、調べたい人は調べてください。(日本は昔、千島南部の二島択捉・国後と表現してみたり、歯舞、色丹が北海道の一部といったりしてる。今の日本政府はというと「北方領土はこの千島列島には含まれていないし、このことは、米国政府も公式に明らかにしている」「樺太千島交換条約でそういう事になったじゃん。」と、おこっている。なんだかよくわからない。)

千島列島を明確にしなかったのも腑に落ちませんが、この講和条約のトドメは、ソ連が条約調印を拒否した事です。

 

ソ連がサンフランシスコ講和条約に参加しなかったという事は、日本はソ連と戦争状態を終結できません。国交を回復しないとシベリアに強制連行された日本人も戻ってこれないし、国際社会にも復帰できない。じゃあソ連と単独で条約を結ぼう。

 

まとまりかけた二島の話

という事で、1956年日本はソ連と「日ソ共同宣言」を結び戦争状態を終結しました。交渉が折り合わず、「平和宣言」ではなく「共同宣言」です。

この時北方領土について、「平和条約の締結後、歯舞諸島・色丹島の2島を日本へ、国後島・択捉島の2島をソ連へ渡す」ことで交渉がほとんどまとまりかけます。

ところがこれにいちゃもんを付けたのが、アメリカのダレス。

「二島で平和条約を結ぶなら、日本に沖縄は返さない」と日本に圧力をかけたと言われています。(アメリカとソ連は当時冷戦の最中なので、日ソが仲良くされると困る)

えー。それは困る。という事で、当然このお話は無かったことになり、結局島はひとつも帰ってきませんでした。

 

で、ソ連が崩壊してロシアになったり日本も首相が変わったりしますけど、

どうやら今のロシアとの関係は、この1956年の日ソ共同宣言で止まっているらしいです。いまだにといっていいかもしれないけど。

共同宣言では「平和条約の締結後、歯舞諸島・色丹島の2島を日本へ引き渡す」としているわけですが、それにはまず平和条約を締結しなければなりません。

あれ?日ソ共同宣言は?と思いますが、あれはあくまで「共同宣言」であり、平和条約ではないのです。

しかし、平和条約を結ぶのが先か、島の帰属を認めるのが先か、日本とロシアでは意見が食い違っているのでなかなか話が進まず今に至ります。

 

ということで、この問題が先に進まないので、日本とロシアはいまだに平和条約を結んでいません。第二次世界大戦後、条約を結んでいないのはロシアだけだそうです。

日ソ共同宣言のなかで戦争状態を終結させているので、戦争中ではないのですが・・

 

 

すごく薄めて書きましたが、掘り下げると色んな意味で気が滅入るのでやめます。

ここまで書いて、なんとなく流れがわかった気がしますね。

つまり最初のニュースの「良くても二島返還か」というのは、歯舞諸島と色丹島を指しているんだね。

 

なんというか、おじさんたちの勝手でよくも遺恨を残してくれたなあ。彼らにとって何かしら利益のあった戦争も、本人たちが死んでしまったらその意味もなくなるわけだから。