伊達市へちょっと旅行した続きです。
きのこ王国で腹を満たし、白絹の床、善光寺を散策。
伊達市の歴史を学ぶべく、「伊達市開拓記念館」があるという道の駅周辺にやってきました。
道の駅だて歴史の杜
せっかくやってきましたが、開拓記念館は平成29年を持って閉館したそうです。
そして代わりの施設となる「だて歴史文化ミュージアム」は平成31年開館予定だそうで、つまり、何も見れませんでした・・。
そーゆー事は市の観光用ページにでもでっかい字で書いてもらうと、観光客には親切ですよ。
という若干の苛立ちを覚えた僕は道の駅の写真を撮り忘れたのだった。
これは道の駅で食べた「ハンサム焼き」。
ふつうのおやきだった。包み紙が兜っぽい。
ここの道の駅は地元産野菜が豊富なことで有名。見ていると観光客だけでなく地元の人も利用しているようです。今年の冬は特に野菜が高騰していますが、スーパーの価格と比較してもかなり割安で野菜が買えました。
お土産もたくさんあり、伊達市だけではなく近隣の市町村のお菓子もあります。
室蘭「うずら園」、うずらの卵で作ったカステラ。
ここの商品で「うずらんかすていら」というカステラがあるのですが、これはその切れ端。
たっぷり入ってお得なお値段。おいしかった。
これは伊達市に牧場を構える「牧家」の杏仁豆腐。
重いくらいの杏仁豆腐が入ってておなかいっぱい。内容量なんと520g!
資料館が見れなくてがっかりした僕は伊達市を後にしました。
伊達市の由来は下記に。
*
「伊達市」の地名の由来は、かの独眼竜・伊達政宗と関係なくもない。
市内の教育施設や交通安全の旗とかには、政宗の兜の三日月マークが多く使われている。
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でも政宗はこの地の開拓に直接関係なくて、頑張ったのは「伊達邦成(くにしげ)」という人。
伊達政宗は本家だけど、「亘理伊達氏」っていう分家もありました。この分家の一番偉い人だったのが伊達邦成。
もちろん伊達政宗と生きた時代も全然違って、政宗は戦国時代の武将だけど、この人は幕末とか明治に生きた人です。
幕末っていうのもなかなか大変な時代で、仙台藩(伊達藩)は戊辰戦争で新政府軍に負けてしまいます。その報復として、領地をほとんど没収されました。
どのくらいかというと、約2万4千石あったのを、たったの58石に減らされたそうです。
このままでは家臣団も生活していくことができなくなるため、明治3年、邦成は家臣とその家族をひきつれ、北海道へ渡りました。移住は9回にわたり、約2,800名が移住しました。
もちろん明治政府から費用の支援は一切ないので、伊達家は家具財宝を売り払って費用を繕ったそうです。
当時日本の農業は人力で鍬を振るうのが基本でしたが、邦成は馬をつかった西洋式農法をいち早く導入し、北海道農業の発展に寄与しました。また、先に生活していたアイヌには礼節を欠かないよう規則を定め、移住の寂しさに耐えられるよう必ず家族をつれて移住するよう定めたそうです。
邦成は政府側の人間ではありませんでしたが、移住から20年以上たった明治25年、開拓の功により男爵に叙せられます。その苦労や屈辱は、社会的には一応報われたといっていいかもしれません。
のちにキリスト教徒となりましたが、伊達神社と開拓神社の祭神になっているという珍しい人物でもあります。
道の駅あぷた
さてここはもう伊達じゃなくて洞爺湖町です。洞爺湖町といっても、以前は虻田(あぶた)町と呼ばれていました。
ここも市町村合併で市名が変わったそうです。なんかこの界隈、知ってる町が無くなってく・・
道の駅あぷたからの眺めは美しいです。
こちらのテラスから内陸が一望できます。
こちらでは地元で採れたウニをつかった料理も楽しめるのですが、残念ながら営業時間は終了。
かわりにホタテフライを頂きました。さくさくぷりぷり、とってもうまい!!
ここから見える景色が「噴火湾」なんだそうだ。
スーパーのホタテに「噴火湾産」ってよく書いてあるな。
ここがホタテの聖地だったのか・・・。
ホタテで機嫌を直した僕は。ごきげんで帰路につきました。
今度はうに丼を食べたいです。