どさんこカメラ

北海道各地で撮った写真を掲載します。

北海道にも古墳はあるぞ!「江別古墳群」で古代に思いを馳せる。

 

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北海道にも古墳があるぞ!というタイトルに惹かれて当ブログに来て頂いた方には大変申し訳ないのだが、まず大仙陵古墳や箸墓古墳のような立派な古墳のイメージをお持ちなら、そのあたりはご期待にそえない。

ご存知の通り北海道には前方後円墳(鍵穴みたいなやつね)やら前方後方墳(四角い前方後円墳みたいなやつね)は存在しない。

そういった古墳は、まさに中央集権の権化、権威の具現化であるが、政治的な力というのは、距離の二乗に反比例するものである。

ましてやスマホもネットもない時代、中央政権から遠く離れた地に、そのようなものが存在しないのは当然だ。

 

それにこの古墳は、いわゆる古墳時代に作られたものではなく、中央で言うところの飛鳥時代とか奈良時代とか、とっくに古墳時代が終わった頃に作られたものである。

 

あるいは北海道に住んでいた当時の人は、風の噂で平城京なんてのがあるらしいよ、仏教なんてのが流行ってるらしいよ、と聞いてはいても、あーそのうち俺らも見てみたいっすねー、なんて言いながら自分の身の回りの生活で精一杯で、その短い生涯を終えていたのかもしれない。見たかった映画がいつの間にか終わるように。

 

しかし北海道にも古墳があるというのは事実だ。

それも大変慎ましい古墳である。

ということで、現存する古墳を見に江別市まで行ってきた。

 

日本最北の古墳「江別古墳群」

ここが「江別古墳群」

北海道に唯一現存する古墳である。

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言いたいことはわかりますよ。

これが古墳だ!と言われても‥

これはまだ良い方で、草が伸び放題の時は全く何があるかわからない。

もちろん雪が積もれば何も見えない。

たまたま最近草刈りが行われたようで、なんとなく形がわかったのが幸いだ。

 

ちなみに本来はこのような形をしている。

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こんな風に円形や楕円形の形で、こんもりと土を盛った形だったらしい。

この中には木棺と副葬品が入っている。

 

写真からではほとんどわからないが、実際に見ると地面にふくらみがあるのを確認できた。

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目を凝らせてください・・(色を付けますね)

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もっかい見ます?

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ほらね。

 

よくよく見ると平原の奥にもこんもりがたくさん散見される。獣道もついていて行けるのだが、一応墓であるし人様の墓の上を歩くのもなんだか憚られるのでこの辺にしておく。

こんもりは全部で21基見つかったのだが、目視できたのは6こんもりくらいである。f:id:tamayoshi:20191024214605j:plain

工事中などに古墳が発見されると、きちんと調査し記録をとってから破壊し、やむを得ずみたいな感じで道路や建物を建てるのだが、昔はめんどうなのでしかるべきところに報告せずこっそり古墳を壊してしまうこともあったらしい。某大学の考古学教授が言っていた。

この古墳もこっそりではないが、1980年代に道路工事により3基が破壊された。

日本が文化財の保護とかにあまり興味がなかった時代の話である。と書きたいところだが今もそういう事はある。

 

このようなこんもり古墳は東北地方にもあって、つまり北海道とか東北とかではこういう墓が流行っていたのである。ということは海を隔てて人の行き交いがあったのだ。

大変地味な古墳ではあるが、日当たり良好、自然豊かな場所に慎ましくこんもりが鎮座する平原をみて、なんだかここであれば安らかに眠れそうだと思った。

 

 

江別市郷土資料館にも行ったほうがいいですよ

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江別市郷土資料館に資料があるというので行ってみた。土器があしらわれたレンガ造りのレリーフがおされ。

 

たかが郷土資料館かと思っていたら、はいってすぐ学芸員のおばさまが詳しい説明をしてくれた。そしてなんでも私に聞いてくだされよ。という菩薩の様なオーラをだして僕を見守っていた。これはプロである。

そして何より土器の多さに圧巻される!

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土器は作られた地域によって、模様や形が違うのである。

江別市から出土した土器は「江別式土器」という名前までついていて、その影響力たるや日本全土に及ぶのである!この図を見よ!

 

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これが本当だとすると、江別式土器はブルースにおけるデルタ・ブルース、ロックンロールにおけるロカビリーである。恐るべし。

 

江別古墳群を調べに来たのだけど、すっかり縄文土器に夢中になってしまった。

時代がわからない人もいるかもしれないが、縄文土器が作られた時代は古墳時代より前の縄文時代だ。

 

江別古墳とは違うが、近くの大麻遺跡からはこんなものも出ている。

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おっぱいやモノがないことから、熊のように見えるがどうだろう。

というのも北海道では熊を信仰すると思われる人々がもたらしたオホーツク文化というのも存在する。

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教科書的には日本の歴史は、縄文時代が終わると弥生時代になり、古墳時代、奈良時代、平安時代と続く。

しかし北海道では縄文時代のあとは続縄文時代、擦文時代、そしてオホーツク文化が混ざりながら、いわゆるアイヌ文化時代になる。

 

オホーツク文化はニヴフ人やコリヤーク人がオホーツク沿岸からもたらした文化といわれている。アイヌは狩猟民族だと思われがちだが、実は交易が得意で、サハリンまで広がっていたし中国の元と戦うこともあった。

そんな感じで当時の北海道は色んな民族や文化が混合した熱気のある土地だった。

 

北海道がまだ広かった時代の話である。