お金と安定した生活とある程度の名誉が得られれば、たいていの人は最初の志はどこへやら、弛緩してしまう。
現在の到達地点が当初の目標とかけ離れていようとも、「ま、ある程度評価されているから。僕の言いたいことはそういう事じゃなかったんだけどまあいいよね。」という言い訳。たぶん自分に向けてなんだろう。
それで自己完結するならまだしも、ちょっと名前を売ったばかりに夢だとか理想とか手垢のついた言葉を、自分で自分を裏切っておきながら恥ずかしげもなく語る。
そういう人を支持する人もやっぱり空っぽな人たちで、評価と支持数というわかりやすい数字がかっこよく見えちゃって空っぽの人を崇拝したりする。
それって一歩引いた人から見れば本人無視の自分らが作り上げた偶像を崇拝しているわけで、そんなの見てるとくさくさしちゃうよね。
今の世の中の構造上、そんなものが大量発生しやすいわけで、見たくもないのに目に入る。そんなやな感じを消すには昔の人の文章に触れるのが一番いいんだな。
純なものに触れたいので読んだ。違星北斗。
違星北斗はアイヌの歌人。違星は、いぼしと読む。
違星は明治時代に余市に生まれ、小学校卒業後は出稼ぎ生活をしていた。
その後、句会や青年団での活躍が認められて20代で上京。かの金田一京介ら著名人と知り合い、学者たちの前でアイヌの講演を開いた。
東京では北海道で受けたような差別もなく、学会や講演に参加して充実した日々だったらしい。
外から研究した文献なんて山のようにあるけれど、明治大正のアイヌ自身の気持ちを書いた文献は手に入りにくい。そういった意味でも、当時彼らが何を感じていたのか、違星の歌は貴重。
違星の研究者ではないので彼の思想、運動の詳細は知らないし言及しない。ことさら政治的なものには全く興味が無い。
ただ単に、怒りと孤独だらけの嘘が無い歌が好き。それだけ。
それは前川茂利の写真にも言えることだけど。
違星の歌には世の中への怒りだけじゃなく、同胞への怒りや歯がゆさがつまっている。それを彼は隠したりしない。
無自覚と祖先罵ったそのことを
済まなかったと今にして思う
仕方なくあきらめるんだと云う心
哀れアイヌを亡ぼした心
金ためたたゞそれだけの人間を
感心してるコタンの人々
(いずれも「北斗帖」より引用)
コタンはアイヌの集落。
東京で活躍の地を得た違星だけど、その生活を捨ててしまった。
なぜそうしたかは、彼の夢や理想が、今使われているような陳腐な意味合いじゃなくて本物だったからだ。
東京でちやほやされてても意味がないとばかりに、再び北海道に戻り、薬の行商人や鰊漁という貧しく厳しい環境に戻っていった。そうして各地のコタンをまわって同胞たちを鼓舞して旅をした。
現実は厳しかったんだけど。
支那蕎麦の立食をした東京の
去年の今頃楽しかったね
貧乏を芝居の様に思ったり
病気を歌に詠んで忘れる
(いずれも「北斗帖」より引用)
じゃあ東京に残ったらよかったのに。と現代人の友達がいたら言ってしまいそうだけど。なんて純なんだ。今の世にはいないでしょ。
現代では自分の思想におぼれて自滅する人は数知れず。でも違星の場合は自分自身だけのものじゃなかった。目に見えない多くの同胞たちに向けてのものだった。
でもそれが手に負えない時代の流れに飲み込まれて消えていく歯がゆさは如何ばかりだっただろう。
過酷な労働と心身の疲弊で、違星は27歳で死んでしまった。
たち悪るく なれとのことが 今の世に
生きよといへる ことに似てゐる(「違星北斗遺稿 コタン」より引用)