どさんこカメラ

北海道各地で撮った写真を掲載します。

マルセイバターサンドの「マルセイ」とは何なのか

六花亭のお菓子で一番好きなのは・・・

と聞かれたら、多くの人はこう答えるであろう

「マルセイバターサンド」

と・・・

 

ビスケットにレーズン入りのクリームをサンドした、言わずと知れた北海道銘菓である。1977年発売という事もあり幅広い年齢に愛されている。

類似商品は数知れないほど出ているが、やっぱり六花亭がおいしいよね!!

 

ところで「バターサンド」はわかるのだが、「マルセイ」ってなんなの?

 

たしゅけてWikipedia!!

 

マルセイとは◯の中に成の字を入れたもので、依田勉三の興した晩成社(依田牧場)が1905年(明治38年)に北海道で初めて商品化したバターのことである(当時の表記はマルセイバタ)

Wikipedia‐マルセイバターサンドより

 

「マルセイとは◯の中に成の字を入れたもの」、つまりこのデザイン。

※ちなみにこれはマルセイバターサンドではなく、姉妹品のマルセイバターケーキである

 

「◯の中に成の字」というのが「晩成社」のトレードマークだったわけですね。

 

晩成社は、実は六花亭と直接関係がありません。

話は明治時代までさかのぼり、開拓者が北海道にやってきた時期。

そこに集まった開拓者が作った組織です。

北海道の大樹町に晩成という地名があり、そこで結成されたので晩成社を名乗ったといわれています。

 

晩成社は開拓集団です。

ウィキぺにも名前が出た依田勉三という人物は静岡県出身で、13戸27名を率いて「晩成社」を結成し帯広に入植しました。

 

本州から北海道へ入植する経路はいろいろあります。

屯田兵としてやってくる人、領地を失った士族・・・もいましたが、故郷を後にして集団で移住してきた人達もいます。

 

しかし北海道での暮らしは厳しく、士族を含む民間人は困窮するものが出てきます。

そこで、みんなでお金を出し合って会社組織をつくり、会社として土地を開拓していこうぜ!!という流れが生まれます。いわゆる「開墾会社」と呼ばれる組織です。

晩成社もそういった組織の一つなわけです。

明治のころ、このように「〇〇社」を名乗る集団はいくつかあり、多数の人が集まってお金を出し合い、資本金で土地を購入し、社長を置き、労働者を雇って開拓する・・という形態が広まりました。

ちなみに札幌には徳島県出身者が結成した「興産社」、高知県や広島県出身者が結成した「開進会社」がかつて存在しております。

 

なので、晩成社というのはそういった会社というか、組織の一つ。というわけです。

ちなみに、かの渋沢栄一が明治31年に「十勝開墾合資会社」なる会社を設立しますが、これは当時の北海道で最大規模の組織で、資本金は100万円という超巨大なものだったそうです。

晩成社は当然こんな立派なものではなく、最初の構成員が13戸27名といいますから会社というか結社的な感じだったのかもしれません。

 

さて晩成社を率いたのが依田勉三(よだ  べんぞう)なる人物であります。

この男、仲間とのらりくらりと北海道に来たわけではありません。

生まれ故郷の静岡から東京にわたり、慶応義塾大学で学んでおります。

先ほどもちょっと触れましたが、渋沢栄一が十勝に土地を買うだけあって、この時期の北海道は「未知の夢」がまだございました。

ただ、当時は何が当たるかは全くわかりません。

それが、日本にはまだなじみのない牧場経営なのか、乳製品なのか、食肉事業なのか、あるいはこれまた日本にはなじみのない、じゃがいもや玉ねぎといった農産物の栽培なのか・・・

 

もうお気づきだと思いますが、彼が手掛けた「バター製造」という事業がマルセイバターの由来となっております。

晩成社は明治39年からバターを製造しました。乳製品事業で収益を得ようと頑張っていたわけですね。

当時バターは高級品で、かの雪印バターが発売されるのは大正時代まで待たねばいけませんから、かなり早い時期に販売を手掛けていたようです。

後年の研究によると、(依田勉三が筆まめだったおかけで相当資料が残っているらしい)晩成社のバターは東京でも販売されていたそうです。

 

しかし、好調かと思われた晩成社のバター販売は、大正7年に終わりを告げます。

原因としては、第一次世界大戦を要因とした人員不足、物価高が影響しているそうです。

なんだか最近の日本みたいですが。

 

依田はその後もいろんな事業を手掛けますが、どれもあまりうまくいかず、大正14年に亡くなります。

晩成社は晩成合資会社となりましたが、昭和7年に解散しました。

 

依田は缶詰工場やでんぷん製造、ハム製造といろんなことを手掛けたのですが、結局どれも成功しませんでした。ひとつには、インフラ整備の流れに乗れなかったことや、流通販路を確保できなかったことが原因だといわれています。

 

時は流れて、昭和。帯広の製菓会社「六花亭」はバターをふんだんに使ったクッキーサンドのネーミングを考えます。

十勝で最初に作られた、「晩成社のバター」をパッケージに採用し、社のマークから「マルセイバターサンド」という名前になったわけです。

 

六花亭は晩成社とかかわりは無いのですが、同じ十勝で生まれた企業という事で、そのあたりのリスペクトがあるわけですね。

六花亭の「ひとつ鍋」とかもそうですけど、地域にちなんだネーミングセンスにくうぅ~と痺れさせてくれるのが六花亭です。

ひとつ鍋の由来はあとで調べてみて下され

 

あらゆる事業が成功しなかった依田勉三、嘘か誠か今際の際に

「晩成社には何も残らん。しかし、十勝野には…」という言葉を残したそう。

ある意味その通りになったというか、そのガッツが後世の人によって伝えられるづけたというのもいい話です。

 

みなさんもマルセイバターサンドを食べるときには、依田さんのバターを思い出してみてくだされ。