どんなものであれ日本最古と名の付くものは全国各地にあるが、「日本最古のコンクリート電柱」はどうやら函館にあるらしいので行ってみた。
というのも僕が別に電柱マニアというわけではなく、函館には五稜郭や教会やラッキーピエロなど行くべきところがたくさんあり、頭の片隅で、ああ日本最古のコンクリート電柱が見たいけど他にもよるべきところがあるのでとても見に行く時間などないなあという、みなさんの気持ちを汲んでのことである。
日本最古のコンクリート電柱があるのは、住所でいうと函館市末広町15−1、二十間坂を下った先にある。
それがこちら。
特筆すべきなのはその形であるが、円柱ではなく四角い柱なのがめずらしい。
(この形を僕は「台形」としか表現できないが、案内板によると「角錐形」と表現するらしい・・)
当時は木製の円柱電信柱が一般的だったから、コンクリート製というだけで珍しかったに違いない。
近くでまじまじと見てもコンクリート製なのでどのくらい古いのか見当もつかない。
実はこの電柱が建てられたのは大正12年(1923年)だから、ほぼ100年も経っているのだ。
上を見ると驚くべきことに電線がつながってるじゃないですか。
つまりこれは日本最古でありながら現役の電柱なのです。
さて大正時代の函館の電柱はぜんぶこんな形だったのかというとそうではない。
当時は木でできた電柱が一般的だった。
ではなぜこんな立派な電柱が出来たのかというと、大正時代に旧北海道拓殖銀行(倒産してしまった「たくぎん」です)が新築された際、木製電柱では見栄えが良くないという事で特別に建てられたらしい。
当時立派な建物といえば銀行、公館、教会くらいだったから、その周りにある電柱がしょぼい木製なのは見た目がよろしくないという事だったんだと思う。
また、函館は火災が多かったため(明治から大正にかけて、大規模火災が10回発生している)コンクリ製にしたという話もある。
ただし当時の絵葉書などを見る限り、銀行以外の建物も電柱も木製なのであまり意味は無い気がする。
主役である銀行はなくなってしまったが、立派な電柱だけが100年もここに残ったのだ。
ちなみに、当時は銀行を挟むようにもう一本電柱が建てられたので、これと併せて「夫婦電柱」と呼ばれていた。昔の日本人は同じものがふたつあると何でも夫婦とよぶが、はたしてオスかメスかわからないもう一本の電柱は、残念ながら現存しない。
昭和46年に道路工事により取り壊されたその電柱は、これまた日本人独特の感性であるが、未練たらしいというか伝統を重んじるというか、平成になってから同じような場所に再現された。少し離れたところにあるこの電柱がそうである。ちょっと白い。
しかしこの電柱は、日本最古のコンクリート電柱ではなく平成時代に建てられたただの電柱である。むしろ最古の電柱を見に来た人にとっては同じような電柱があってまぎらわしい。「夫婦電柱」のくだりを知らない人にとっては全く意味の分からないどころか視界にすら入らない建造物である。
というわけで、最古の電柱にお越しの際は平成電柱の頑張りも見てあげてください。