出てきた出てきた山親爺~♪ のCMでおなじみ、北海道銘菓「山親爺」。
北海道民なら、知らない人はほぼいない銘菓である。
その製造元である「千秋庵」は札幌だけでなく函館や小樽、かつては帯広にもあった。さらには、「山親爺」は札幌周辺で購入するものとは違うバージョンが存在するのである。
と言っても読んでる方はわけがわからないと思うので、まずは僕のお土産話を聞いてください。
きっかけは一枚の山親爺から・・
函館に遊びに行ったので、好物である「山親爺」を購入した。
素朴な味が割と好きなのだ。
袋をあけると、おなじみ、鮭を背負ってスキーに乗ったヒグマ。
さっそく食べると、なんとも言い難い違和感。
もしかしたら・・・僕は、すぐさま近所のイオンへと車を走らせた。
イオンの銘菓コーナーには各地の銘菓が陳列され、全く準備していなかったのに急きょ予定が入り午後から親戚の家に手土産を持って行かなくてはならなくなるという不測の事態に対して万全の体制を整えている。
そして案の定「山親爺」もその一角に鎮座していた。
それがこちら
さっきのと違うじゃん
おわかりいただけただろうか。
函館で売っている山親爺と札幌で売っている山親爺は違うのだ!
▼左:札幌 右:函館
▼左:札幌 右:函館
「鮭を背負ってスキーに乗った熊」という絵柄は同じだが、札幌の方がちょっとリアルである。
函館のクマのスキー板ははずいぶん短い。最近流行りのショートスキーかもしれない。
味は函館の方が甘く、さくさくしていてタマゴボーロの様な感じがする。札幌の方は硬めで焼き色が濃い。
函館の方は「元祖山親爺」という商品名であるが、決して類似品ではない。
どちらも正真正銘、千秋庵の山親爺だ。
というのも函館は千秋庵総本家、札幌は札幌千秋庵本店(千秋庵製菓株式会社)なのだ..。
華麗なる千秋庵の一族
話は1860年の函館にまでさかのぼる。
秋田県出身の藩士・佐々木吉兵衛が菓子店を開業、これが今も函館にある「千秋庵総本家」である。
その「千秋庵総本家」から1894年「小樽千秋庵」が独立。1919年には「旭川千秋庵」が独立した。さらに1921年には小樽千秋庵から「札幌千秋庵」が独立、1933年にはさらに「帯広千秋庵」が独立。そして千秋庵総本家から「釧路千秋庵」が独立したのは1934年であった・・。
ってもう読んでいてもわけがわからないので図にしてみた。
明治から昭和にかけての北海道にはそれぞれ独立した店として千秋庵が乱立していたのである。
残念ながら90年代に廃業が相次ぎ、今ではオレンジ色の千秋庵しか残っていない。
これは日本の風習「のれん分け」によるもの(なんじゃないかと思う)。のれん分けとは従業員や親族に「のれん=屋号」の使用を許可して、屋号は引き継ぎつつも完全に別の店として経営する形態。
現代におけるフランチャイズとも似ているけど、第三者の介入が無いことや経営に口を出さないことなんかが異なる。それに契約というドライな関係では無く、長年勤めた従業員や親族に対してのゴールという意味合いを考えれば、若干暑苦しいというか、よく言えば血縁関係のような物である。
帯広千秋庵に至ってはのれんを返上し、なんと現在の六花亭になっている(!)
上の表を補足すると、後継者不足のため函館の千秋庵総本家は2017年に岐阜県の製菓企業に買収され、子会社化された。実質的な千秋庵は札幌にしか残っていないことになる。
ともかく、千秋庵は北海道のお菓子業界に多大な功績を残しているのである。
はたしてかつての旭川千秋庵や帯広千秋庵にも「山親爺」はあったのだろうか?ネットで調べる限り何も出てこないので、今度調べてみます。
ちなみにこちらが函館にある千秋庵総本家
札幌の千秋庵とは違う、歴史を感じる建物。
店内もシブい。
こちらの千秋庵は主に生菓子やどら焼き、餅などを扱っている。
札幌の千秋庵にある焼き菓子の類はあまりない。
地域の老舗和菓子屋さんといった感じ。
長年道産子をやっているけど知らないことってあるのだなあ。
と思いながらしみじみ桜餅を食べた。