最近オートミールばかり食べている。
オートミールというのは燕麦(えんばく)を食べやすく加工したもので、水分と一緒に加熱すると粥状になる食べ物である。
お粥の麦バージョンだと思ってほしい。
何故オートミールを食べているかというと、「調理時間が短い主食」というただその一点だけである。
ご飯でもいいのだけど、仕事をしていてひとり身だとなかなか炊飯という作業が億劫だ。ご飯を買うと高くつくが炊飯するのも面倒という負のスパイラルに陥るとご飯の欠品が続き大変不便である。
その点オートミールは水を入れて加熱するだけで主食的なものになるので、大変時間の節約になるし便利というわけだ。
▼こんなふうにお粥みたくして食べている
2020年ころからブームになるまで、日本ではオートミールの認知度は低かったが、昭和天皇が朝食で召し上がったり、渋沢栄一の好物だったりと実はわりと古くから日本にあるのはあったのである。
しかし一般家庭にはあまり普及しなかった。
テレビ放映がきっかけか、コロナのおこもり需要で人気が出てしまい一時品薄になる事態が発生した。
僕が常食していた「北海道産オートミール」もその被害をこうむった商品である。
▼これ。やめよう買占め。
しかし、人気が出たおかげでスーパーでも手軽にオートミールを買えるようになった。それはうれしい。人気が出たところで、せっかくなのでオートミールと北海道の関係について知っていただければと思う。
北海道でのオートミール生産
オートミールの正体は燕麦(えんばく)という穀物です。
ヨーロッパの人々からは主食として親しまれていました。
日本に入ってきたのは明治時代で、主に北海道で栽培されました。
北海道はその頃、畑も田もなく、野生のままの原野同然でした。
北海道でどんな農作物を育てればうまくいくか誰も知らなかったので、海外から来た珍しい作物は北海道で作られることが多かったわけです。
道内の燕麦の、おそらくもっと古い統計である1894年(明治27)の作付面積(作物の利用面積)は、わずか約965ヘクタールでした。しかしその20年後の1914年(大正3)には約62,674ヘクタールと急増しています。
大正時代のデータを観てみますと、主な産地は空知、後志、上川・・・と今でも主要な農地が並んでいますが、栽培面積のトップが以外にも札幌。というのがなかなか面白いです。
しかしその用途は馬に食べさせる「飼料用」で、人間が食べるものではありませんでした。
明治から大正にかけて燕麦の生産が急増したのには日露戦争が影響しております。
日露戦争当時は戦車も戦闘機もないので、歩兵か騎馬で戦うしかありません。
なので、戦争で馬の需要が増えると、結果そのエサである燕麦の生産も増えるというわけです。
燕麦は軍馬のエサだったので、陸軍が特約して購入しておりました。
日露戦争と燕麦
1902年(明治35)に旭川に陸軍第七師団が設置されると、農業団体は陸軍に対し馬の飼料に燕麦を利用すること、そして燕麦の生産者による直接供給を申し入れます。
これにオッケーがでまして、生産者が直接陸軍に販売可能となったわけです。
先ほど大正時代の作付面積は札幌圏がトップと述べましたが、当時札幌は泥炭地が多く、お米をつくるには不向きな土地でした。
その点、お米と違って燕麦は荒れた土地でも育ち、軍に売ればそれなりにお金になる。という事で札幌圏で生産が盛んになったようです。
日本で初めてのオートミール誕生
さてさて、そんな燕麦事情をみて「これはいける」と思ったのが戸部佶(とべただし)という男。
戸部さんは北海道に適した農産物を見極めるべく、農産物の加工や貯蔵方法を模索していました。アメリカ・カリフォルニア州デルモンテの缶詰工場で働きながら、野菜缶詰の製造技術を習得。さらにヨーロッパに渡り研究を重ねます。
帰国後、1929(昭和4)年、札幌の琴似に日本食品製造合資会社の工場を設立します。
工場では当時まだ日本では珍しかったスイートコーンやアスパラやキュウリの缶詰が作られました。
そして1929年、北海道産の燕麦を原料にして日本で初めてオートミールが製造されます。
ちなみにオートミールだけでなく、とうもろこしを原料にコーンフレークを日本で初めて製造したのもこの工場だそうです。
シリアル発祥の地北海道!というわけです。
この工場は今でも現存しておりまして、琴似駅の近くにあります。
それがこちら。
今は「レンガの館」の愛称がつく旧日本食品缶詰工場であります。
背後にはタワマンがそびえ立ち、今では見る影もありませんが、ここには同社の倉庫があり(2002年頃まではあったはずですが、マンション建設で取り壊されました)、戸部佶の自宅もありました。
当時周辺には広大な田畑があり、戸部さんは缶詰の原料を琴似周辺で収穫しながら研究していたようです。
やがて札幌の都市化で琴似工場は手狭になり、1946年に由仁町に工場を移して今に至ります。
由仁町三川の工場は現在も稼働中で、最近は廃校を再利用した工場も建てられたそうです。
ちなみに戸部さんは、野っ原同然だった大通公園の西3丁目、4丁目に自費で花壇の造成をした方でもあります。当時公園とは名ばかりだった大通公園が、実は多くの知識人のポケットマネーや市民のボランティアで美しくなった経緯がありますが、それはまた別のお話。
さて、こうしてオートミールは日本に無事普及したのでした。
と書きたいところですが、昭和初期の本を見ると、栄養豊富なので加工して食べるよう奨励する本が散見されはするものの、やはり脱穀や圧縮に手間がかかること、馬のエサというイメージがあることから食卓に登場する機会はあまりなかったようです。さらにオートミールのレシピは牛乳と砂糖が定番で、特に砂糖は毎回食べるなんて贅沢すぎて考えられなかったでしょう。
戦時中の貧しい時代を除けば、実生活に登場する機会は多いとはいえず、むしろ最近の巣ごもり需要でやっと脚光を浴びたと思います。
ちなみに燕麦の生産量は減少傾向です。
というのも昔は戦争のみならず農作業や交通手段として当たり前に馬がいましたが、今は車に置き換わっています。馬がいないという事は燕麦もそんなに必要ないという事で、世界的に見ても生産は減少しています。
北海道は今でも生産量最多ですが、オートミール用の燕麦はごくわずかです。
ほとんどが飼料(家畜のエサ)や、緑肥(肥料用)用として栽培されています。
オートミールの食べ方
オートミールは燕麦の加工の仕方で数種類に分けられます。
手に入りやすいのは「クイックオーツ」と「インスタントオーツ」の2種類です。
▲左がクイックオーツ、右がインスタントオーツ
いずれも日本食品製造合資会社のもの。
北海道産の燕麦を使用しているのは左の「日食ロールドオーツ」です。
右の袋入オーツも日本食品製造合資会社が製造していますが、原料の燕麦はフィンランド、オーストラリア、カナダ、アメリカのいずれかが産地です。
他の袋入オーツも原料は海外産です。
どうしても北海道産が食べたいのだ!という方は缶の日食ロールドオーツをどうぞ。
▲大正時代の復刻パッケージがレトロでいい感じ
ちなみに日食ロールドオーツは「ロールドオーツ」と名乗っていますが、海外のロールドオーツより薄くて調理しやすくなっています。
興味が出た方はご賞味いただければと思いますが、そんなにおいしいものではないです
言い方が悪いですが、ごちそうではないってことです。
そう考えると、デフォルトでうまい米の力は偉大ですな・・
というのも食べ方にちょっとコツがいるんで、そこを知っとけばお手軽な主食になると思います。(アレルギーある方とかはお控えくださいね)
次回はそこんところを紹介したいと思います。